12月4日、Web会議サービスであるZoomを用いて、「若者の積極的な政治参加に向けて」というテーマのもと、である室橋祐貴様をお招きし、勉強会を開催しました。
1988年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒、慶應義塾大学政策・メディア研究科修士2年。若者の声を政策に反映させることを目標に掲げる団体である「日本若者協議会」代表理事。専門・関心領域は政策決定過程、社会保障、財政、労働政策、若者の政治参画など。若者と政府が公的な議論をできる機会を設けるために、日本若者協議会を設立。若者の団体や個人が政府に声を届けられる仕組み作りを行い、政策提言などを積極的に行っている。
⼀般的には「若者は政治に無関⼼だから投票に⾏かない」と言われており、仮にその定説が正しいとすると、若者の投票率を上げるためには「若者に政治に興味を持ってもらう」ことが対応策となる。しかし「若者は政治に無関心だ」という定説は本当に正しいとは言えない。OECDの2016年のレポートを見てみると、日本の「政治に関心がない」15~29歳の割合はOECD平均の26%より少ない11%であり、31カ国中3番目の低さである。また、投票率が低下し始めた1990年代以降に、政治関心がとくに低下しているという傾向はみられない。これらのデータから、新しい仮説として、日本の若者が政治に参加しないのは「政治に無関心だから」ではなく、他のことが大きな要因なのではないかと考えられる。
また、 政治への関⼼が⾼いほど投票に参加するのか、すなわち投票の参加要因は何かについても議論が行われている。政治参加における主なモデルとしては、ライカ―&オードシュックモデルや市民の自発的参加モデル(Verba et al.1995)がある。ここで特に詳しく解説していた市民の自発的参加モデルについては、市民が投票に参加する要素として資源の要素として、まず金銭、時間、知識がなく投票に行けないことや、政治への関心や政治的有効性感覚などの弱さ、周囲の人に投票に誘われないことなどが挙げられる。
日本の若者は、社会への貢献欲が高い一方、社会を自分の手で変えられるとは思っていない。このことが投票率にも影響を与えていると考えられる。参考となるデータとして、「私の参加により、変えてほしい社会現象が少し変えられるかもしれない」そう思う・どちらかと言えばそう思う=30.2%というデータを示し、そこから政治に無関心なのではなく、「政治的有効性感覚」が弱いからではないかと考えた。「政治的有効性感覚」とは行動に対する見通しが強いほど、人はその行動に対して努力するという認識だ。学生は身近な社会(学校)さえ変えられると思ってない。義務教育課程で、社会参加に向けたマイナスの学習経験をしているのではないか。
そして、若者が政治に興味がない、投票に行かないのは学校に多くの責任がある。学校が変えられるという感覚を持てるような学校生活を送れるようにするべきだ。実際日本若者協議会が実施したアンケートによると、若者のうちの7割が「学校は変えられない(自分たちでつくっていけるものではない)」、6割が「声をあげる機会が無い」と感じていた。学校が政治的有効性感覚を養わない教育をしているということだ。
権利を行使する主体になるため、子供から大人になるプロセスにおいて何かが必要である。投票率の高いスウェーデンなどでは、幼稚園くらいから、こどもたちの声を重視し生徒らが声を挙げれば学校を変えられるというような教育を実施しているのに対して、日本では一見子供の声を聞いているようで大人が結局決定しているようなケース(生徒会、街づくりでの若者議会=一日体験にすぎない)が多く、本当の意味での参画を子どもが経験できていない。
では、若者が投票に⾏かないと何が問題なのか。(真の課題は何なのか)それは、若者世代の課題解決という目的を達成できないからである。政策決定に大きな影響を持つ政策立案過程(有識者会議や部会(政策ごとのミーティング))、政策決定(与党の部会、国会など)過程に若者は入っていない。そのことによって公約や立法、選挙の場に、若者の意見が届く機会が圧倒的に少ない。若者を代表して利益を代弁する必要があるため、ロビイング、デモ、署名、有識者会議への参加、出馬などの様々な関わり方によって、若者の声を届けていく必要がある。
そもそも投票にどれだけインパクトがあるのか。仮に10代20代が現状の倍担っても、60際以上が半分以下ないくらいいるため、勝ち目がないのではないか。という疑問に対しては、むしろそれ以上に、有識者会議や国会のような政策の意思決定の場所に若者がいないことが重大な問題だと考える。部会に参加しているような業界団体は高齢の方ばかりが占めている。若者の意見が届く機会が少ない。官僚などからすると、若者の意見を代表して利益を主張するような「聞く相手」がいない。
海外の事例としては、「若者議会(ユースパーラメント)」というものがあり、各地域や⻘年団体の代表、または学校単位で選ばれた10代〜 20代の若者が地域や国の社会問題を議論し、その結果を国会や地⽅議会議員と議論するというもの。ヨーロッパではほぼ すべての国で導⼊されており、若者の意見が政治に携わる人に伝わる場所として重要な存在となっている。また、他の例では「全国若者団体協議会(LSU)」若者の意見を代表するような団体。わかりやすく説明すると、若者によるロビイング団体である。若者政策法によって法的に担保されている。若者の意見を聞くとなったらLSUに聞くというのがシステム化されている。これを参考に「日本若者協議会」が作られた。
日本若者協議会は若者世代が直接政治に意見を届けられるような活動を目標に掲げ、若者の意見をまとめて、政府や業界団体へそれを提言する団体である。具体的には、勉強会、アンケート等で若者の意識・課題抽出を行い、日本版ユース・パーラメントとして、政党と若者の政策やディスカッションを通じ、若者の要望をあぶりだし、政策提案のフェーズを経て、政策実現へのフェーズまで持っていくことを行なっている。例として、大学入試改革の問題などについて実際に政党の部会などに提案を行なった。
活動実績の例として、高校でのICT実施ヒアリングには高校生を連れていくということを行なった。活動の際に、絶対に当事者の若者を連れていくということを重視している。
公約ってホントに達成されてるのかということを2019.06.19の「参院選公約比較イベント」で確認することを行なった。このイベントは、どの党が自分たちの意見を反映してくれたのかを見てみるイベントである。前述の大学入試改革に関しても、学生と政府の方との間で話し合いを行った。
政治参加は進んでいないというのが総論である。1969年の通達では高校生は政治活動が禁止されていたのが、2015年の通達では主体的に取り組むことがより一層期待されると変わった。これは大きな変革だったものの、現在の日本では主権者教育をするに際して「政治的中立性をどう担保するか」が重要な問題点となり、結局現実的な教育をできていないことが多い。一方海外では、実際の例を使い、コンセンサスに基づいて自由に議論されている。学校を休んでデモをすることが学校側に認められていることからも分かるように、学生の積極的な政治参加が推奨されている。
SNSで情報を相対化できるようになった一方、ゼロ・トレランス政策やAO、炎上などの広がりにより「規範化」されつつある。それによってルールの遵守への意識が高くなったが、それが若者が政治参加という変化を与える行為がマイナスな方向に働くと考えていくようになると考えている。そこで、授業づくりから学校づくりへと、よりスケールを大きくして取り組んでいくべきと考えている。
①教育方針や実行方法の変更
これまでは個人が守るべき倫理的規範を教えるような道徳的な教育が強かったは、これからは、主権者として、批判的な視点から社会と向き合い、社会を作る意識を育てるべきと考えている具体的にいうと、多様性のある人達と意見を集約してまとめるという経験が義務教育に必要だと考えている。最近ネットで声あげやすくなったものの、わがままっぽい意見が多い。わがままな意見というのは、過度に客体意識が高まり、お客さん意識が芽生えることによって、主権者的な意識が欠けてしまった意見ということだ。そういった意識、意見を生み出さないために、客観的な視点、集団の目線が必要だ。そこで、そのための室橋講師の案として、学校運営への⽣徒参加によって学校内⺠主主義を実現することだと考えている。そのためのステップとして、2020年8⽉⽣徒会⻑経験者を中⼼に「学校内⺠主主義を考える検討会議」を設置した。
また、主権者教育の一環として学校のガバナンスへの参加を重視している、そのようなことを経験していきながら社会の一員になっていく。身近な社会から変えていく経験が大事だ。どうやったら若者を変えられるかという話の前に、まずは仕組みを作る大人が変わる必要がある。Right to be heard(子どもの権利条約より)というものがある。聞かれる権利、すなわち大人が聞かなければならない。聞いてくれる大人はどれくらいいるのか。教職員の対応なども、親身に対応してくれる教員と全く親身に対応してくれない教員とは半々に分かれている。そこを改善していかなければならない。
②政治参画経験の早期化
早い段階での政治参画の経験やそのような機会を与えるのが大事であると考えている。日本では18歳からしか党員になれないことから、高校生はそのような体験は。難しい。選挙の手伝いなどは出来ない。海外ではより若い年齢から可能であり、日本もそのように変えていく必要がある。
社会は変化するという前提のもと、
①批判的な検証⼒、具体的には論理的思考⼒、統計的分析⼒などを身に着けてほしい。
②エピソードではなく、エビデンスを重視する姿勢が大切だ。自分の周りが「普通」だと考えるのではなく、より客観的にものごとを見るように努力すべきだ。
③「他責中⼼」より「⾃律中⼼」
コロナ禍で不満ばかり⾔うよりも、今だからこそできる現実的なことに取り組む姿勢が望ましい。
④若者の声を届ける「窓⼝」はできているので、 ⼀緒に参加して欲しい。今は、声をあげる人を増やすためのフェーズになっている。
Q1.政策提言をしてどれだけ公約に反映されているかの確認をしているそうですが、実際はどれくらい反映されていますか?
A1.実現はしていないが、高確率で公約に反映されている。
Q1’.その中で、確実に動き出しているものは?
A1’.ネット投票、男性の育休義務化、高校生の就活1人1社制への対応など、本当にたくさん反映されている。
Q2.日本は勉強ありき(「学生は勉強すべき」)という考えと、若者は若いうちから政治に参加すべきだという考えは矛盾しているように感じますがどうお考えでしょうか。
A2.学校は、社会に入る準備期間だと思っているので、座学だけでなく意見のプレゼンなど意見調整の機会が重要。ライティングの仕方など、勉強は座学だけではない。現場に行くことの重要性もある。子供も社会の一員なので、最初から政治に入ってくことは、社会として重要だ。生徒の声をまったく聞かずに授業・教育を行うことは、良い教育ではないと考えている。
Q2’.現状座学メインだと思うので、カリキュラムを変えていく必要があるのではないかと思いますが、その点室橋様はどうお考えでしょうか?
A2’. 新学習指導要領は、それをベースに考えている。
ちゃんとみんなで話し合いながら学習していくことの大切さは授業に反映されているので、実際それをどう実装していくかが大切。黒板に書いて終わりの単純な教育は、日本でしか行われていない。それをどのように教員に改善してもらうかが次のフェーズ。行政官や政治家などの上の人が対応できていない。
Q3.新科目「公共」における政治教育は、若者の政治参加にどのような・どれほどの影響を与えることが期待できるとお考えですか?期待できるとしたらどのあたりですか。
A3.主権者教育は一応去年96%の高校で行われたが、一回模擬投票して終わりとかそういうのが多かった。そのため科目としてちゃんとできるのは大きい。いままでの総合教育だと、コロナとかでつぶれていた。また、いままでは高校でしか行われていなかったが、これからは中学も。
Q3’. 政治的中立性の緩和は実例をもとに議論すべきであるが、その中立性はどのようにするべきでしょうか。
A3’.そもそも政治的中立のとり方が日本と諸外国で真逆。日本はファクトだけを伝えるのが中立性だが、海外では両サイド伝えるのが中立。つまり、多様性を伝える。ドイツだと、極右政党も討論会に呼んでる。多様性をしっかり伝えるのが大事。教員が一人で授業をしている以上政治的思想のコントロールは出来てしまう。ドイツで「教育の仕方によっては政治に関して偏りのある見方を生徒に押し付けることもできるがどう対処しているのか」と質問した時には生徒会の子が「教員がそんな事してきたら、周りの色々な大それについての意見を求める」と回答したので特に問題ない。生徒はしっかりものごとを批判的に見る姿勢を身につけられている。
Q4.途中のお話のなかで、若者の要求の中にはわがままが多いとのご指摘がありました。何がわがままで何が真っ当な要求なのかを判断する軸などがあればご教示いただきたいです。
A4.基本的に提言を通すときは、それに関係する各ステークホルダーを通す必要がある。様々な言い分があるので、お互いの言い分を整理した上で妥協点を模索する話し合いをしないと敵対して終わってしまう。相手を組み込んで提言しているのか、相手の事情を考慮せずに言っているのかはすぐわかる。日本の教育予算が2兆円という中で、コロナの学費削減のために2兆円も算出する必要性はどこにあるのか?など来年から入学する学生もいる。大学が弱ってしまっては来年度以降に影響が出るので、そこでバランスを取る必要がある。
Q5.AO入試は政治意識にどのように影響しているのでしょうか。
A5.まだ研究はまとまっていないので直感的な答えになるが、AOは成績や活動内容が大事だが、活動の成功モデルが出来てしまっている。(AO対策塾など)AOのために活動している高校生が多くなってしまう。大学受験のためだけの活動だと、入学後も続かないだけでなく、自分の問題意識を醸成しないまま表面的な活動になってしまうため、意味が薄まる。
Q6. 政治的中立性に関しまして、日本では両サイドの意見が伝えられないと仰っていましたが、それが思うようにできていない原因としてどういうことが考えられるのでしょうか。
A6. 主な原因としては、日本の教員に政治教育をする十分なスキルが無いことが挙げられる。ドイツでは、博士課程を持った先生が教えられていることが多い(しっかりニュースを分析して教えられている)海外では非営利団体が政治教育のための教材づくりをしたり、教育者向けに 政治ニュースのブリーフをまとめたり一般向けに発信している例もある。また、教室の中はクローズなので、本当に両面のことを言っているのかがわからない。教育の場に呼ばれなかった政治家が学校側に意見する風潮があったため、学校側も政治教育を躊躇しがち。ということも原因として考えられる。
Q7.現状政治的なことを教えるスキルを持った教員は必要人数いるのか?今後どうしていくべきなのか?
A7.そもそも教員の数が足りないから、教員の働き方改革をしないといけない。部活の引率してる場合ではない。今専門性高い教員ほどやめてしまう。フィンランドだと修士もってないと教員になれないなどの決まりもあるので、そこまでではなくても日本なら修士号を持っていたら賃金面で待遇良くするなどのインセンティブをもたせるのはいいのではないか。
Q8.今回の投票に見られるように、アメリカは政治意識の高さが国の分断を招いてしまったと捉えることも可能だと思いますが、政治意識の高さのデメリットはないのでしょうか?
A8.おっしゃるとおりだ。そもそも日本とアメリカでは経済環境が違うため、単純な比較はできない。日本は穏健な状況にあるため危機感があまりないという前提のもと考えている。アメリカの分断を招いたのは政治に参加する人に偏りがあったのではないかと考えている。LSUなど、意見の偏りを未然に防ぐ仕組みが必要。アメリカにおいても、若者協議会のような団体がないので、一般の人が入る回路が乏しい。自由主義的な風潮があるため、アメリカではお金がある人のほうが政治に参加しやすいと個人的には思っている。
室橋様のご講演を拝聴して、日本の若者が政治に関心があるにも関わらず、システム、能力的に整っていないが故に若者の政治参加が進んでいない現状について学ばせていただきました。確かに、周りを見ても、皆関心がないわけではないが、どうすればいいわからないという人が多い印象です。それを変えるには、室橋様のおっしゃるように、学校教育や政治活動そのもののシステムを変えなければいけないということを、今回のご講演を通じて痛感致しました。
今回ご講演いただきました室橋祐貴様、誠にありがとうございました。
文責:福田 敬祐