現在、日本では国の発展を測る基準としてGDPが用いられている。日本の1人あたりGDPは世界17位であり、日本は物質的にはとても豊かであるといえる。その反面、日本の自殺率は先進国の中では珍しく高く、GDPに比例して国民の幸福度が上がらないという「幸福のパラドックス」がうかがえる。対照的に、幸福度を国の発展の基準として世界で初めて取り入れたブータンではGDPは低い反面、97%もの国民が幸せであると回答している。なお、ブータンが採用した幸福度(GNH)では経済的自立、環境保護、文化の推進、良き統治の4本柱に対する国民の満足度が基準とされている。これらのことをふまえた上で、以下の議論を行った。
この問いについては、日本人とブータン人とを比較することはできないという意見が多数であった。そう考えた理由として、
・先進国と発展途上国とでは幸せの基準が違う
・人や時代により価値観
・幸せの基準は違う
・コップに半分の水があった場合、日本人は「半分しか」ととらえ、発展途上国の人は「半分も」ととらえる
といった意見が上がった。
・日本にはブータンの幸福度の基準の4本柱のうち、「環境保護」と「文化の推進」とが欠けており、環境保護の欠如の例として、昨今の原発問題があげられる。しかし、日本人とブータン人とでは価値観が異なるため、やはり両者の比較は難しい。(1年法)
・日本人とブータン人とでは確かに価値観が違うが、日本人の忙しさ、家族と過ごす時間が取れず孤食になりがちな点などから最初はブータン人の方が幸せなのではないかと考えた。しかし、花岡さんが上げたJ・Sミルの「満足した豚であるよりも不満足な人間であれ、満足した人間であるよりも不満足なソクラテスであれ」という言葉を受け、忙しさの反面、自分を鍛えて向上していくという人間の存在意義を果たせる日本人の方が幸福なのではないかと考えるようになった。 (1年商)
メリットとしては
・幸せの度数を可視化することで、国民がより幸せになるような政策に繋げることができる
・幸せを数値化することができる
・国民の細かいニーズに応えることができる
・戦争、自殺、離婚に関わるビジネスで儲けが生じた場合GDPはプラスになるが国民が幸せになるはずはない。そこで幸福度の導入が有効である
といった意見が上げられた。
一方、デメリットとしては
・幸福度に応じて決定された政策が実質を伴わなければ意味がない
・幸せの定義は曖昧であるため、その定義を政府が勝手に決定せいてしまった場合、国民の考える幸せの基準と離れてしまう可能性がある
・政治家の意のままの政策決定に幸福度が利用されてしまう可能性がある。幸福度を上げるため、高齢者向けのサービスばかりが実現されたとしたならば世代間格差が生じてしまう
・幸福の基準は人によりばらばらであり、かつ個々が幸福と感じる目標地点までの距離は変わりやすいため幸福の定義が難しい といった意見が上げられた。
・国の発展の基準としてGDPあるいは幸福度のどちらかのみを用いるべきではなく、ケースバイケースでどちらも用いるべき。外交においては各国により基準が異なるため、どのような国が相手であるかで指標を変えるべき(1年商)
・取り入れなくてよい。日本の幸福度が低ければ、政府はそれを上げようとするはずだが、世の中、不幸から学んでいくことも多く、不幸から学んだことの中身を重要視してそれを政策決定に反映していくべき (2年理工)
・幸福度の取り入れに反対。幸福であるか否かは極めて個人的な問題であり、政府には関係がない。ブータンが採用している幸福度の4本柱は幸福度ではなく満足度を測るものに過ぎない。幸福度の取り入れではなく、アンケートとして、文書を政府に気軽に投函できるようにするべき (2年薬)