2020年11月29日に第3回FWを開催しました。
第3回テーマ「産みたい人が産める社会へ」のFWとして赴いた先は千葉県国立歴史民俗博物館でした。企画展の「性差(ジェンダー)の日本史」の観覧を通して、日本におけるジェンダー区別のあり方を学ぶため、この博物館をFW先として選び、実際に向かいました。
この企画展では、古代の「サト」(※)から始まり、太平洋戦争後の男女の職業の区別に至るまで、日本の歴史における男女区別の変遷を辿りました。
驚くことに、古代の日本では現在我々が感じているほどの男女区別の意識は存在しませんでした。それが中世・近世になり、女性を「奥様(家の奥の方に居て姿が見えない)」と表現したり、女性が就くことのできる職業が限られたりするなど、ジェンダー区別の意識が芽生え始めます。しかし、時に「女性にのみ許される名誉あるもの」として、誇りのある職業(遊女など)も存在しました。遊女は当時、差別もなく独立した職業であったそうです。そしてその後、江戸時代で将軍家の女性が「大奥」と呼ばれたり、明治憲法で「女性排除」が叫ばれるなど、近代においてジェンダー区別の意識が強まりました。明治時代には、売春婦が解放され自由が与えられましたが、裏を返すとこれはそれまで彼女たちの収入源であったものを奪ったこととなり、安易に「女性の解放」を唱えることができたわけではありませんでした。
(※)「サト」とは、クニ、ムラの下位互換のような村落などの小さい地縁的な集まりのことを指す。
現代の男女区別は、身分制度が撤廃され、職業や生活の自由が与えられてから現れた新時代的なものです。統計学的に見れば女性は男性に比べ体力がなく、社会的な地位が低くなりがちであるという事実があるため、スポーツの試合や企業の重要ポストなどさまざまな場で男性優位になるのは致し方ないところがあると思います。しかし、最初から「女は劣っている」と決めつけてしまうことがあってはいけません。
今回、企画展を見て感じたのは、安易に男女区別をなくそうとするのは危険であるということです。古代には男女を区別した戸籍は存在しなかったそうです。つまり、男女区別は歴史の中で人々が作り上げたものであり、長い歴史を経てその意識が人々に浸透しきった今、社会の暗黙のシステムを変えることの難しさを実感します。前述した売春婦の解放の内実は、女性を売った育て親に返されることであり、身を売る生活は続きます。また、解放令の目的は売春の廃止ではなく売春婦の自由商売でした。もともと売春婦は組織で活動して居たので、バラバラになったことで自分を保護するものがなくなりました。
企画展で印象に残ったことがあります。それは、明治時代のコーナーにあったとある展示物に「音楽と芸術は女性のもの」と「女性は音楽家になれない」という説明書きがあったことです。この表現には、当時の男女観に対して非常に違和感を覚えました。
文責:田中 健翔