日本のこれから
~次世代社会とリーダーシップ~
#7 出口治明氏
〈11月28日、日吉キャンパスにてライフネット生命保険株式会社代表取締役会長兼CEO出口治明氏をお招きし、「次世代社会とリーダーシップ」というテーマのもと、特別勉強会を行いました。〉
「世界経営計画のサブシステム」
「人間は、どんな社会に生きていても何かを変えたいと思っている。
つまり、皆それぞれが周囲の世界を変えたい、思う存分経営してみたいと思っている。
世界経営計画を持っている。」
出口氏はこのような言葉で講演を始められた。人間は誰しも自分の住まう社会に100%満足しているわけではなく、より良くしたいと思っている。その意味で人間はそれぞれの「世界経営計画」を持つ。「世界経営計画」を自分の力だけで瞬時に成し遂げることができる神のような存在をメインシステムと定義した場合、人間ができることはそのサブシステムを構築すること、つまり計画を遂行するうえで自分が現在のポジションで何ができるかを不断に問い続けることであり、それが人間の生きる意味、働く意味である。そしてそのためには、周囲の世界を正しくとらえることが必要となると出口氏は続けられた。出口氏によれば、世界を正しく理解するポイントは、次の2点である。
1.タテ・ヨコで考える
タテ・ヨコで考えるとは、物事を縦軸(時間軸)と横軸(空間軸)の両方の視点から捉えることを意味する。例えば、夫婦別姓の議論についてタテ・ヨコで考えると、縦軸は日本での夫婦の姓の歴史、横軸は世界の夫婦の姓である。日本の長い歴史の中で、夫婦が同姓を強制された期間は明治時代以降のほんの130年間である。また、OECD加入国の法律婚に目を向けてみれば、法律婚を前提に夫婦の同姓を強制しているのは日本1ヵ国のみである。このように考えれば、夫婦の姓についての日本の歴史的、世界的な立ち位置を理解することができる。このように、タテ・ヨコで考えるということは、世界の中での自分の立ち位置を把握するのに非常に役に立つ考え方であるという。
2.数字・ファクト・ロジックで考える
出口氏はわかりやすい例をあげて、数字・ファクト・ロジックで考えることのメリットを説明してくださった。
「人間にとって一番恐ろしい動物は何か?」という問いについて考えた時、感覚で議論する人は「体重が1t近くある人食いザメ」などと答えるだろう。しかし数字・ファクト・ロジックで考えれば、一番恐ろしい動物を「1年間で殺した人間の数」という指標で判断することが出来る。その場合、最も恐ろしい動物は、1年間で70万人もの人間を殺している蚊である。実は、先ほど話に出た人食いザメは1年で約10人しか人を殺していないのだ。このたとえ話からわかることは、感覚で議論した場合と数字・ファクト・ロジックで議論した場合で、見えてくる世界はまったく異なること、そして数字・ファクト・ロジックで議論しない限り、世界の本当の姿は見えてこないということである。
しかし、この思考方法を実行に移すことは難しいと出口氏は言う。これを説明するのに、氏は2つの例を挙げた。
1つ目は、年金に関する話である。昨今、将来の年金給付を危ぶむ言説が方々で流れ、老後の資金は年金を頼るのではなく自身で貯蓄した方が安心であるというような世論も存在している。しかし、これは大きな誤りであるという。日本は50兆円の税収にもかかわらず95兆円の予算を執行しているが、そのようなことができるのは国債を発行できるからである。つまり、国が国債を発行できる限りは、日本の社会保障が破綻することはないのだ。また、万が一国債が紙切れになり、年金制度が破綻する時には、それは国債を大量に保有している銀行などの金融機関の破綻をも意味するため、年金給付を危惧して銀行等で貯蓄を行う行為には意味がない。このように、ロジカルに考えれば理解できることであるにもかかわらず、社会通念で目が曇っている人々は「年金は危ない」との言説に簡単に流されてしまう。数字・ファクト・ロジックで考えることの難しさを表す好例である。
次に出口氏が上げられた例え話は、選挙についてである。日本は投票率が低いと言われるが、その理由のひとつとして、「候補者にろくな人間がいないから、そのような候補者に投票する選挙なんて行かない」と考えている人が少なからず存在することがある。しかし、このような考え方も、まったく論理に基づかないことは明らかである。イギリスの首相ウィンストン・チャーチルは、「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば。」という有名な言葉を残した演説の中で、選挙とは様々な候補者の中から、相対的に望ましい人間を選ぶ忍耐であると述べている。チャーチルのように論理的に考えれば、国をよりよくするためには、候補者に失望して選挙権を放棄するのではなく、少しでも国を良くしてくれるであろう候補者を選び、投票することが最善の策であることは明確である。
リーダーに求められる3条件
出口氏は、本講演のテーマでもある「リーダーシップ」についてもわかりやすい例を挙げながらお話された。リーダーに必要なものは、強い思い、共感させる能力、コミュニケーション能力の3つであるという。
1.強い思い
強い思いとは、簡単に言えば「自分のやりたいことをする」ことである。自分のやりたいことをすれば人は誰でも一生懸命に取り組むことができる上、チームを統率するのにその思いは不可欠である。
2.共感させる能力
リーダーには、強い思いを他人に伝え、共感させ、チームを統率する能力も求められる。
3.コミュニケーション能力
様々な人間から構成されるチームを統率するには、チームのメンバーとのコミュニケーションの中で各人のコンディションを敏感に読み取り、それに応じてチームのメンバーを導くことが必要となる。
しかし、この3つの条件でさえ満たしている人間は少ないと出口氏は言う。そのような場合に有効なのが、リーダーシップを個人の能力に求めるのではなく、組織のファンクションとして考えるという考え方だ。つまり、リーダーの3条件を満たす個人を求めるのではなく、チームのメンバー総体の能力として3条件が満たされていれば良いとする考え方である。また、リーダーには、人を使う能力も求められる。出口氏は今までの経験から、人を使うときに心がけるべき3か条もご教授下さった。それは、楽しい空間を作ること、他人の能力を把握して得意分野を伸ばすこと、チャレンジの機会を与えることである。
1.楽しい空間を作ること
人がどのような時にやる気を出すかを考えてみればよい。辛い仕事を乗り越えた時の達成感でやる気を出す人間がいることも確かだが、そのようなモチベーションアップの方法を長期間続けることは困難である。やはり、多くの人にとって仕事を楽しく出来ることが何よりのモチベーションとなるだろう。ゆえに、リーダーは楽しい空間をつくる必要があるのである。
2.他人の能力を把握し、得意分野を伸ばすこと
これも前項と同じで、人がいきいきと仕事が出来るのはどのような仕事をする時かを考えてみればよい。単純に考えれば、自分の得意な仕事をしている時に人は多くのやりがいと報酬を得ることが出来る。そう考えると、リーダーに必要なのはチームのメンバーそれぞれの得意分野を把握し、適切に仕事を与える能力である。
3.チャレンジの機会を与えること
しかし、各人の得意分野に焦点を絞って仕事を与えるだけでは、部下が新たな取り組みにチャレンジする機会を奪ってしまうことになる。そのため、リーダーは時には部下にチャレンジの機会を与えることも重要である。
「不真面目さ」から生まれるイノベーション
日本は近年、確実に貧しくなっている。実質GDP世界第4位、国際競争力ランキングで21位という現状は、日本はストックでは豊かな国だがフローではかなり下位に位置しているということを意味する。フローがストックよりも小さい状況を放置していれば、日本が今後貧しくなっていくことは避けられないという。
そこで、仕事の生産性を向上させることが必要となる。生産性を向上させるためには、日本の各個人が、上司に言われるがままに仕事をするのではなく、仕事のプロセスを自分の頭で考え、イノベーティブな考え方で仕事を出来るかがカギとなる。ここで、出口氏はイノベーションの起こし方についてわかりやすい例を用いながらお話し下さった。ライフネット生命保険のオフィス近くにあるラーメン店は、女性客が非常に多く、繁盛している。店主にその秘訣を聞くと、店内を清潔に保ち、「ベジそば」という女性をターゲットとしたメニューを提供している。野菜とムール貝を使用したラーメンである「ベジそば」は、その意外性からヒットメニューとなったという。
この話からわかるのは、イノベーションのほとんどは、どこにでもあるものの組み合わせであるということである。先ほどのラーメン店は、ラーメン、野菜、ムール貝というありふれたコンテンツを組み合わせることでヒットメニューを生み出したのだ。つまり、イノベーティブなアイデアを生み出すには、何よりもまず様々なことを知り、多くの知識の引き出しを持っているということが前提となる。そのために必要なのは、勉強である。勉強とは、机に向かって勉強することだけを指すのではない。人に会う、本を読む、旅をすることすべてが勉強であり、各々の嗜好に合ったやり方で勉強をすれば良いという。日本の就職面接では往々にして学生時代のアルバイト経験や課外活動が話題に出されるが、これは、学生時代に大学で何を勉強したかを重視する就職面接のグローバルスタンダードに反しているとも出口氏はお話になられた。
また、イノベーションには不真面目さと遊び心も重要である。仕事を与えられた時に、真面目な人は定時までに仕事を終わらせることだけに集中する一方で、定時前に恋人とのデートの約束を入れてしまうような不真面目な人は、約束の時間までにどうすれば仕事を終わらせることが出来るかを考えることになる。このような危機的状況でこそ人は今までのやり方を見つめなおし、新たな方法を考え付くことが出来る。これがイノベーションなのである。
「分別がある者は、自分を世界に合わせようとする。
分別がない者は、世界を自分に合わせようと躍起になっている。
ゆえに、分別がない者がいなければ、進歩はありえない」
有名なバーナード・ショーの言葉を引き合いに出し、出口氏はイノベーションに無分別さ、不真面目さが必要であることを強調された。例として出されたのが、人類史上最大の発明の1つともいえるアルファベットの発明である。アルファベットの起源である原シナイ文字を発明したBC1800年のシナイ半島の人々は、決して地理的に恵まれていたわけでも、賢明であったわけでもなく、寧ろその逆であった。エジプトのヒエログリフとバビロンの楔形文字が交差する複雑な環境下にあり、その両方を覚えなければ栄転が見込まれない不遇な状況にあったからこそ、2つの文字を学習する努力無しにそれらの文字を表すことを目指し、アルファベットの発明に至ったのである。
ライフネット生命保険起業に至るまで
出口氏は、2008年に戦後初の独立系インターネット生命保険会社「ライフネット生命保険」を開業した。2012年11月には保有契約件数15万件を突破し、特に20-30代を中心とした子育て世代から支持を得て成長しているライフネット生命保険だが、講演の最後に出口氏は自身の起業の動機についてお話しされた。ライフネット生命保険のミッションは「生命保険料を半分にして、安心して赤ちゃんを産み育てることができる社会をつくりたい」というものだが、このミッション制定の背景には日本の若者世代の所得の減少がある。日本はこの15年の間に所得が15%前後減少し、20代の平均所得は、1世帯平均で約320万円しかない。若い世代が子どもを生みにくい要因の1つにこの事実があると考えた出口氏は、少子化と所得の減少に対応した安い保険料の商品を提供するような会社を設立したいという思いがあったという。この思いを基に設立されたライフネット生命保険は、従来の対面式の販売方法ではなくインターネット販売を導入することで人件費や店舗費を削減するなど、様々な工夫を行い低廉な保険料を実現している。
質疑応答
Q.リーダーは楽しい空間をつくることが必要とのお話だったが、チームが苦境にある時はどのように対処すればいいのか。
A.チームのメンバーが辛い境遇にあっても、リーダーは明るく元気に振舞い、メンバーを鼓舞するべきだ。メンバーの立場から考えてみれば、大変そうに仕事をするリーダーよりも寧ろ、いきいきと仕事をするリーダーの下で働く方が良いことは明らかだ。
Q.様々な分野について疑問を持ち、考えるためには何をすればよいのか。
A.前提として、人間には考える力をそもそも備えていないと考えたほうが良い。なぜならば、たとえばスキーを練習する時のことを考えるとわかりやすい。スキーは板で雪の坂を滑るという単純なスポーツだが、それでも初心者はなかなか上手く滑ることができるようにならない。このように人間の身体はそこまで器用につくられていないのだから、その一部である脳がそこまで優れた機能を最初から持ち合わせていないのは当然であるともいえる。そこで、考える力を養うために必要となるのが、古典を読むこと。古典を読むことで、先人達の思考プロセスを追体験することができ、それが考える力を育てる。
Q.ライフネット生命保険の新卒採用では、何を評価基準としているのか。
A.まず前提として、ライフネット生命保険での「新卒」の定義は「30歳未満であること」であり、採用方法は「重い課題」と題した論文審査。論文では、「数字・ファクト・ロジックで考えているか」を重視して評価する。
Q.論文では「数字・ファクト・ロジックで考えているか」を重視するとのお話だったが、それでイノベーティブな人間を採用することはできるのか。
A.様々な物事に通じていて、かつ、数字・ファクト・ロジックで考えられることを前提として、その上で不真面目にもなることができる人間がイノベーティブな人材であると考えている。文は人なりとはよく言うが、文章には書き手の思想や人柄が表れるものである。論文を読めば、筆者が数字、ファクト、ロジックで考えることのできる人間か、そして面白い発想の持ち主かどうかを、面接による審査よりも正確に見極めることができる。
所感
多くのグラフや統計データを使用し、また様々な歴史的事象、偉人達の言葉を借りながらご自身の論を展開していく出口様の講演を聞き、深く納得するとともに出口様の造詣の深さを感じました。今回のご講演の中で「数字・ファクト・ロジックで考える」という言葉が多く登場しましたが、その実行は難しいと出口様もご指摘された通り、世の中にはそのプロセスを経ることなく人々の頭の中で「常識」としてインプットされている情報が蔓延しています。このような状況を打開するには、一人ひとりが与えられた情報を漫然と受け入れるのではなく、疑問を持って探求することが必要なのではないかと感じました。
今回御講演いただきました出口治明様、ありがとうございました。
文責:矢部麻里菜