第1回事前学習 ~ メディアにおける事実と真実 ~
4月18日、日吉キャンパスにて第一回事前学習が行われました。これから3週間かけて学ぶテーマは「メディアにおける事実と真実」です。
「メディアにおける事実と真実」について、私たちは日本の理想とする社会を「国民が情報を意識的に捉え、批判的に吟味し、自立的に展開する社会」と設定し、日本はこれからどうあるべきかを考えました。
今回は、2年生の宮村、岸本によるファシリテーション形式で「メディアにおける事実と真実」について学びました。
以下はその内容です。
メディアとは
「メディア」とは「コミュニケーションの媒(なかだち)となる事物」を意味する言葉であり、情報を記録・伝達・保管する物は全て「メディア」とみなすことができます。その中でもテレビ・新聞・インターネットなど、不特定多数に向けて発信できる媒体は「マスメディア」と呼称されます。
このマスメディアの使用状況を世代別に見ると、若年層がインターネットを中心的に活用しているのに対し、高齢者はテレビや新聞を主に使用する傾向にあります。
各マスメディアの特徴
めざましい発展をとげているインターネットについては、情報の伝達速度(速報性)が大きいのに対し、不確実な情報が大量に乱立している、という点が見受けられます。
次に、映像や音声のおかげでわかりやすいTVですが、偏向報道の存在や質の低い番組の放映など、その公平性・信頼性には疑問があります。
また、比較的信頼性のある新聞についても、同様に偏向報道の問題や、速報性の不足などが挙げられます。
報道の問題点
ここで、「大きな影響力を持つマスメディアが生む問題にはどのようなものがあるか」を全員で話し合いました。その結果、
・国民の意見が、発信者の立場に左右されてしまう
・タレント議員のように、メディアの力を政治利用する者が出現する
・虚飾報道(巧みに編集することでイメージを捏造している政治家会見など)
・「容疑者」の段階での性急な実名報道
といった意見が挙げられました。
第四の権力
国民の情報源として発信を続けるメディアは、いまや世論誘導も可能なほどの力を持っています。その影響力の大きさは、メディアを三権分立の構図(立法・司法・行政)に照らし合わせて、「第四の権力」と位置づける見方もあるほどです。
しかし、仮にメディアが偏向報道や誤報を行って、その影響力を悪用したとき、それを取り締まることのできる権力は存在するのでしょうか。たしかに少年法や肖像権などの一部規制は実施されており、公正中立な報道を奨励する放送法も施行されています。しかし、報道を過剰に規制するような法律の制定は「表現の自由」を侵害することからもわかるように、適切な規制を法律で実現するのは非常に難しいことなのです。
このような状況では、マスコミ各社の政治的嗜好やスポンサーの影響による偏向報道を完全に防ぐことは出来ません。
メディアリテラシー
そこで国民一人ひとりに求められるのは「メディアリテラシー」と呼ばれる態度です。これは、メディアを介した情報を意識的に捉え、批判的に吟味し、自立的に展開する営みを指します。このような取り組みは、自己の尺度の客体化、およびステレオタイプな認識からの脱却につながります。
最後に、「報道の問題点を改善するためにはどのような取り組みが有効なのか」を話し合いました。
・情報の受け手が柔軟になること
・情報監視機関の設置
・編集を施さないノーカット放送の実施
・編集を施す際には、様々に意見の偏ったコメンテーターを複数名あえて配置する
このような対策が提案されました。
道州制、TPP、STAP細胞など、耳目を集めるニュースの中には難解なものも多く含まれます。それらを理解し、熟考し、自分なりの意見を持つことは大変根気のいる作業になることもしばしばです。その労力を避けたいがために、私たち情報の受け手は新聞の社説や、テレビのコメンテーターの意見を鵜呑みにしてしまっているのかもしれません。
しかし、そのような受動的な姿勢でメディアに接していては、偏向報道のたびに自己の尺度が歪曲化されてしまいます。これを防ぐためには、主体的な態度でもって氾濫する情報に向き合っていくことが重要である、ということを感じました。
今回の事前学習で学んだことをもとに、「勉強会」「リフレクション」を通じて、さらにこのテーマについて理解を深めていきます。
そして次回は4月25日、一般社団法人日本報道検証機構の楊井人文氏をお迎えして、ご講義いただきます。
文責:東恩納 麻州