初めに児玉氏は私達や私達の地元に関する質問をされ、農家と私達の関係を私達に意識させた。それを踏まえ、児玉氏は「農家と私の立ち位置」についてのお話をされた。
まず児玉氏は自己紹介を通し、自身がどう農家と関わっているかを説明された。 児玉氏は「セガレ・セガール」という実家や地元の農産物を売る活動をしているという。そして、地元カンパニーの設立に至る経緯も話してくださった。また、自身の実家は農家であるとおっしゃり、農業と自身の立ち位置を明らかにされた。
次に、私達の多くは「消費者」という立場で農家と関わっているということで、「消費者」という立ち位置から見た、「農業の課題は何か」というお話に移られた。 課題とは、当事者から見た現状と理想の差分である。そうした視点で考えた場合、消費者からすると食料は十分にあるため、現時点での日本の農業の課題はほとんどないのではないかとされた。 つまり、日本の消費者の理想を「安全な食料が十分に手に入ること」とすると、現状と理想の差分は極めて小さいため、よく日本の農業の問題とされる自給率やTPPも、日本の消費者にとっての直接の課題にはならないのではないかとのことであった。もちろん、消費者として50年後、100年後を見つめた時、また、農家という視点に立ったときは、大いに課題はあるだろうが。
続いて、児玉氏は視点を変え、農業や農家と経済の関係についてのお話をされた。 まず児玉氏は農業がどれだけ経済原理にのっているのかの話題について話された。1つの例は、2011年の東日本大震災直後、食料が足りない状況では、食べ物には価格がつかなかった。何故なら、あらゆる場所から被災地へ寄付が募られ、食料が贈与されるからである。目の前にお腹がすいている人がいたとしても、価格を吊り上げて食料を買わせる事はできない。
もう1つは、日本には近所に食料を分ける「おすそわけ」の文化があるように、農産物は人と人との関係を円滑にするコミュニケーションツールの1つとしても利用されている。農業を十把一絡げに経済原理の視点から捉えずに、経済原理にのるシーンや商材、経済原理にのらないシーンや商材をしっかり判断して農業を捉えるべきとのことだった。
むしろ視点として確固たるものは「人」なのではないかと。誰がつくった野菜なのか、誰がその地域で農業を担っているか、どんな人たちがその担い手を支えているかなど、そこに関わる「人」を見る事が今後の社会では必要となっていくとのことだ。
最後に、たびたび農業の課題として挙がる「担い手不足」はもはや、農家だけでなく、地域の、日本全体の課題であると述べられ、やはり、地元の担い手は地元で育てる必要があると語られた。そのために、地域自体のパワーを大きくする必要があり、そのためにも、その地域の出身者が、地元で起業し、地元で雇用を生むことや、たとえ、東京で暮らしたとしても、地元に対して貢献できることを個々人が考える必要があるともおっしゃった。
児玉様は講義全体を通し、私達に問いかける形式をとられたため、相互にやりとりができ、最後までお話に引き込まれました。また、ご自身を具体例として用いて話を進められ、普段関わりを感じにくい農業の話を噛み砕いて説明してくださったため、非常に理解しやすかったです。
今回ご講演頂きました児玉光史様、ありがとうございました。
文責 小西彩純