2月7日、オリンピックセンターにて移民に肯定的な見解を示す石原氏をお招きしました。
40、50年後の日本社会では、若者が高齢者の世話をできる社会が成立しているか否かを考える時、移民の受け入れを考慮せざるを得ない。しかし、世間からの外国人、移民に対する偏見は強い。事実、太平洋戦争で広島県に原爆が投下された際、被ばくしていたはずである在日朝鮮人3万人への対応は平和条約に記されていなかった。
もちろん、国民の移民に対する理解が全くない訳ではなく、従来は企業の入社試験を受ける際に日本国籍が求められていたものの、1985年のプラザ合意を契機に在日韓国人を雇うようになった。在日朝鮮人が日本人と結婚する割合は、1974年の時点で50%、1990年には90%にまで増加した。つまり、日本人が在日朝鮮人に対して差別意識を持ち続けている訳ではないことが分かる。文化の側面から見ても、延暦寺を建立した最澄は百済出身であるし、伝説に残る「天のはごろも」はチマチョゴリから由来しているという。
今後、人口激減社会に突入するであろう日本において、文化の違う人を互いに尊重し融合していかなければならないであろう。消費社会、労働力が停滞は日本経済に大きなダメージを与える上に、人口の減少は自衛隊に入隊する人の減少に繋がり防衛の側面にも負の影響が及ぶ。現在すでに問題視されている福祉関係の人員も、外国人を雇わなければ人手不足になる。
たしかに、日本政府は外国人留学生に対してアルバイトを認めたり帰化しやすくしたりと寛大にも見える。しかし、実際は外国人を管理するという観念があるのではないかと石原氏は述べる。実際に政府は、自治体が人数を把握できるように在留カードを用いたり、東日本大震災の際に帰国する外国人が再度日本に戻ることを許さなかったりしたのである。また、かつての日本は移民を派遣してきたものの、現在の政府は「移民」という言葉を用いない傾向がある。日本人から見た移民は、満州への侵略者や貧しい時代に送り出してきた組織という印象が根付いているからと考えられる。
こうした状況において、日本のマスコミは移民に対するマイナスなイメージばかりを報道しているのではないであろうか、というのが石原氏の見解である。犯罪が多いのは低賃金に対する不満や観光目的の短期的に日本を訪れている人であるため、在日朝鮮人が事件や犯罪を起こしやすいとは一概には言えないはずである。しかし、マスコミは移民の受け入れを是か非かで協議したがり、肯定的な意見よりも主張しやすい否定的な意見が優先して報道されるのであるという。石原氏は、こうした議論を二極化する姿勢は国民に一面的な考えを植え付けると同時に、人口減少への対策になにも役立たないとして望ましくないと述べた。
石原氏は、3.11をうけて、日本人と外国人の関係が変わる転機になるのではないかと強く主張する。自国民がいない被災地に救済にいく外国人は「日本にお世話になっているから」という理由で駆け付けてくれたという。また、ベトナム人ジャーナリストが被災地で日本人の子供にバナナをあげたところ食糧置き場に置きにいったことから、日本人は危機的状況においてもみんなのことを考えられると海外から評価された。外国人を移民として受け入れ始めたとしても、日本人が中心となって国を築くべきということには変わりない。ただ、今回の災害をうけて、日本人が外国人に対し感謝の念を抱き、少しづつ外国人に対する偏見をなくしていければ、移民を受け入れる環境が築き始められるのではないであろうか。
ご講演いただきました石原進様、本当にありがとうございました。