12月4日、日吉キャンパスにて第6回事前学習が行われました。これから3週間かけて学ぶテーマは「高齢化社会といのちの居場所」です。今回は2年の宮田と中井によるプレゼンテーション形式で、テーマに関わる日本の現状と今後の展望について学びました。
このテーマを考えるにあたり「高齢化社会」の定義を再確認しました。高齢化社会とは、総人口の内、高齢者の割合が大きくなってきた社会のことを指し、一般的に65歳以上の人口の比率が7%を超えた社会を言います。日本は1970年がその始まりとされており、世界各国の高齢化をいわば「先取りしている」日本が、今後どのようにして対処するかが注目されています。
終活とは、人生の終わりの迎え方を自らの望むようにすべく、自分でその準備することを意味する言葉で、流行語大賞2012ではトップ10に入りました。他にも寿命が長くなったことを意味する「人生100年社会」や、定年退職後の人生が長くなったことを表す「第二の人生」、平均介護期間が約5年と長くなったことを表す「大介護時代」といった言葉が生まれ、高齢化問題を抱える日本社会の変化と、「最期の迎え方」に対する考え方の変化を表しています。
「超高齢社会」とは、総人口に対して65歳以上の高齢者の割合が21%以上となった社会を表します。2015年9月現在、日本はその割合が26.7%となっており、まさに超高齢社会の典型と言え、日本の国全体としての人口動態は2014年現在4年連続で減少傾向にあります。かつては1人の高齢者に対し、生産年齢人口約9人で支えていたものが、2050年には生産年齢人口約1人で支えなければならなくなり、将来の世代の負担を軽減する策を講じる必要性に迫られています。
医療機関において最期を迎える人の割合は、昭和51年の自宅で最期を迎える人の割合を上回り、近年は8割を超える人々が医療機関で最期を迎えています。2025年から2040年まで高齢者が増加し続け、病院で最期を迎える人の割合がこのまま減らなければ、2040年には約40万人が看取られる場所を失うことになります。こうした中、政府は2025年を目途に、高齢者の自立生活の支援をしながら、在宅医療、在宅介護の普及を目指し、高齢者が自分らしい暮らしを最後まで続けることができるように地域の包括的な支援体制の構築を推進しています。
高齢化の進行に伴い、社会保障費の増大が懸念されています。特に2011年度には、高齢者関係給付費は社会保障給付費のうち67.2%を占め、社会保障費のほとんどが高齢化社会への対応に使われています。
誰もが介護の当事者となる現在、その場所をどこに設けるのか、また誰が負担するのかなどといった問題が、今後より頻繁に議論されることになるでしょう。家で介護され、看取られた人が多かった時代から、ほとんどが病院で最期を迎える時代に変化した今、高齢化の進行を受けて、その死生観までもが変わろうとしています。「終活」という言葉が映し出す高齢化社会の問題に、私たちはどのようにして向き合うべきなのでしょうか。
家庭、または病床で最期を迎えることの長所と短所や、もし看取られる側だったら、または看取る側だったら、家庭と病床のどちらを最期の場所として選択するかをグループで話し合いました。その際に意見として多かったのは、「看取られるなら自宅が良いが、看取る側としては負担が大きくなってしまうのが心配」といったものでした。政府が在宅介護、在宅医療を推進する上で、このような負担を心配する声にどのように応えるか、看取る側と看取られる側の双方が安心して最期の時間を共有するために何ができるかが今後の課題になると感じました。
また、医療技術の進歩や出生率の低下により加速する高齢化問題は、かねてから頻繁に取り上げられてきました。さらに医療の場、介護の場における人手不足や増え続ける社会保障費の問題も無視はできず、今後急速に進行する高齢化には早急な対応が求められています。しかしその一方で、高齢化と、その原因となる問題、またはそれを加速させる要因となる問題をいずれも根本的に解決することは非常に難しく、現実的でないのも確かです。これらを踏まえ、現在の問題のどの点に焦点を当てるのか、どの部分を優先的に対処するのかを見極め、取り組むことが今後の課題であり、高齢化問題解決の第一歩になると感じました。
文責 今野雅史