5月13日、日吉キャンパスにて「教育と考える力」というテーマのもと、ディベートを行いました。
2002年水準に戻すということは、授業時間だけでなく、授業内容もゆとり教育の水準に戻すことを指します。思考力は、学習内容を絞ったゆとりのあるカリキュラムに戻し、専門性に特化させることによって、身につくものなのか。それとも、従来通り幅広い分野を学ばせることで、身につくものであるのかが争点となりました。また、対象は義務教育である小・中学校です。以下、肯定派、否定派において挙げられた論点です。
・ゆとり教育では、選択科目を増加させることにより、子供自身が学びたい事を選択して学習できる。つまり、専門性を高め、個人の進路に沿った学習ができる。
・授業内容に一定の基準を設けることで、教師にとっても指導しやすく、子どもにとっても有意義な授業になる。
・ゆとり教育の失敗の原因は、方針自体にあるわけではない。本来ゆとり教育は、「生きる力」の育成のために、授業時間を減らし、子供たちに体験学習をさせる体制を整える意図で実施された。失敗の要因は、教育現場の理解不足にあったと考えられる。前回のゆとり教育の失敗を経て、改善点が明確であるため、導入しても失敗することはない。
・テストによって測られる学力や勉強だけでは、現代社会で十分に役割を果たすことはできない。「社会人基礎力(注1)」は授業時間ではなく、むしろ課外活動の場で習得されるものである。そのため、小中学生が遊びや部活動の時間を確保するために、授業時間を削減するべきである。また、生徒の課外活動への動機付けとして、課外活動を単位認定するなどの必要もある。
・幼少期の体験が大人になってからの人格を形成する。そのため、授業時間削減に伴う自由時間の増加を体験学習に充てることで、成人してからの「生きる力」が養われる。
(注1)経済産業省が2006年より提唱しているもので、具体的には、前に踏み出す力、考え抜く力、チームで働く力の3つの能力を指す。
・授業時間を減らし自由な時間が増えても、その時間は有効に使われない。小・中学生にとって、自分で課題を立て、学ぶことは容易ではない。そのため、子供の学校外での学習時間や意欲は低下する。一方で、塾に行く経済的余裕のある子どもは塾に通い、結局詰め込み型の教育に陥る。
・ゆとり教育で授業時間を削減したことにより、学校での教育指導が手薄になった。そのため、生徒全体の学力の低下と世代間の学力差は拡大したと考えられる。
・総合の時間のカリキュラムへの疑問視。総合の時間を削る代わりに、思考力を伸ばせるようなカリキュラムを教科の授業内で組むことが必要。
・今まで好きではないが必要に駆られて勉強していた層(中間層)が下位層に流れることで、学力が二極化する。また、学習指導要領は私立学校に対し、拘束力があまりないため、授業時間数に差が生じる。私立学校や学習塾に通わせることのできる経済的に余裕のある層と、公立校だけで勉強している層との教育格差を助長する。
今回のディべートを通して、子どもの思考力を伸ばすために必要な教育は何か、どのような教育が、子どもにとって有意義なものとなるのかということを深く考えさせられました。日本の未来を担う子どもたちが、社会に出てから通用する能力を育成するには、何が必要かということを考えていく必要があると感じました。また、今回のディベートでは、言葉の定義の明確さが勝敗を分けたこともあり、ディベートをする上で、言葉の定義を明確にすることが大切だと思いました。
文責 鍋田真結子