2015年度 公開講演会

社会のカダイと本気で闘う生き方

特別講師 高橋博之氏


 Front Runnerでは、学生の方々と共に日本のこれからについて考え、「学生と社会をつなぐ」というサークルのミッションを達成するため、そしてより多くの方にFront Runnerの活動を知っていただくために、年に一度、公開講演会を開催しております。

 今年度は11月6日に、「社会のカダイと本気で闘う生き方」というテーマのもと、高橋博之氏を講師にお迎えし、ご講演いただきました。

人生について


 始めに、この講演会で一番伝えたいことを言いたい。日本人男性の平均寿命は約80歳。そのため、その半分の40歳は人生の折り返し地点であり、今後は自分の得意なこと・好きなことを深めていきたいと思った。私は、現在まで40年間生きてきて思ったことがある。それは、人生は大体、思った通りにはならないということである。私は22歳で岩手県議会議員になり、大震災後岩手県知事選に立候補した。しかし落選し、4年後にもう一度挑戦しようと思ったが、4年という期間は長いため、その間に事業をすることを勧められた。

 生きていると何をしたいのか分からなくなる時がある。するべきことが見つからないことが一番苦しいと思う。しかし、その時は後ろを振り返ればよい。今まで生きてきたことの延長が次の一歩なのだから、過去を振り返ることは必ず自らの助けとなる。また、直感を大切にすることも重要である。直感とは今まで生きてきた自分を愛することである。

東北食べる通信の意味


 先進国の日本では、生活に必要なものは、ほとんどの人が持っている。そのため、ただモノを売るだけでは、消費者は何も買ってくれない。消費者に何かを買ってもらうためには、価値観を共有することとコミュニティーを売ることが必要である。私たちは東北食べる通信を発行して、消費者と生産者のコミュニケーションのきっかけを作っている。つまり、生産者と消費者をつなぐ・関係をデザインするということを行っている。そして、関係を作るためには「共感」と「参加」が必要である。現在の社会では、人と人との関係が希少になっている。そして「共感」と「参加」が特に薄いのは第1次産業であり、消費者のほとんどは生産の裏側を知らない。コメ農家が困っているというニュースが流れても、テレビを消した途端に、その出来事は他人事になってしまう。なぜなら、農家の困っている顔が思い浮かばないからである。実際、輸入品は安全性に欠けるためできるだけ国産の食材が良いという人は多い。しかし日本の農家がいなくなれば、日本の消費者は他国の輸入品を食べなくてはいけない。消費者はこの現実を理解しているはずなのに、なぜかその農家が困っていても、他人事になってしまうのである。私たちは、東北食べる通信で生産者の世界観、人柄、哲学、生産における苦労を冊子にし、商品と一緒に届け、農業を他人事にさせないように努力している。東北食べる通信を読んでから一緒に届けられる商品を食べることによって、その食品の味は、他の人には作ることのできない自分だけが感じる美味しさとなるのである。

 さらに、Facebook上において、東北食べる通信で紹介された生産者と購入した消費者達が交流できるページを作るなど、SNSを利用することにより、消費者と生産者の間でコミュニケーションを生み出すことができた。このことは、田畑や海など誰にも見られない孤独な現場で働く生産者にとって、「自らが精魂込めて作り上げた作物を誰が口にしているか分からない」という状況を変えるための第一歩であった。

 SNSでの交流の後、生産者と消費者の関係はどのようになったのか。会津のかぼちゃ農家はその繋がりを活用して販路を拡大した。秋田のコメ農家はSNSを用い、ボランティアを募集したところ、都会から約200人が収穫の手伝いに来てくれた。私は都会生まれ都会育ちで地方に頼る人がおらず、帰省する場所がない人を「ふるさと難民」と呼んでいる。しかし、そのような人たちは、SNSによって地方の生産者と繋がり、「都会育ちだが、今ではふるさとができた」と言ってくれた。

成熟した日本経済


 現在の日本は快適・便利で完成されたシステムの上で成り立っている。都会ではスマートフォンの購入ボタンを押すだけで、すぐに注文した商品が届く。しかし、そんな試練もアクシデントもない世界で生きていて、果たして生きている実感がするのだろうか。一方で、一次産業に従事する人々は予定不調和な中で生きている。天候は毎年異なり、収穫量も年によって変化する。災害に見舞われることだってある。私は、都会の人々は生きていることを実感するために予定不調和な環境を求めていると感じる。SNSで農家の人と繋がる人はこれに該当する。他の人も実際に生産の現場を見ないといけないのではないだろうか。

 試練も不自由もない都会の生活は、消費者の要求をますます上げていく。従来のサービスに満足できなくなった消費者は医療・教育・政治などの資源を消費しつくして、システムを疲弊・崩壊させている。そして、生産者側は消費者が求めるものに応えきれずに化学肥料の使用量や生産地の偽装に走る。実体のないバーチャルな世界が、日本の都市部を中心に広まっている。

 それでは地方ではどうだろうか。震災後、ふるさとのためになることをしたいと言う人は多かった。しかし、地方経済を支える農業・漁業は、他に働く場所が無い人が行くところ、というような風潮は今でも変わっていない。震災後、地方に移住したい人の数が過去最高になったが、これは「地方にも都会と同等の医療施設・教育機関・職場がある」という条件付きである。そのため実際には、地方への移住者を増やすことは中々期待できない。地方創生には観光と移住という2通りの方法があるとされるが、私は2つの間にある「通う」ということが重要だと思う。そのイメージとしては、年に数回、農家との交流を目的に都会から地方へ旅行するという、「平成の参勤交代」である。移住はハードルが高く、逆に観光だと効果は一時的である。「通う」ことは両者の中間に位置するため、長期的に地方の経済を支えることができると考える。就職・進学で都会に出る人がいるが、この逆は自然を目的に地方へ「通う」ことだと感じる。前者はよく言われているが、後者については今後東北食べる通信を通して、この回路を開きたいと考えている。

生きている実感を得るために


 企業のフィリピン沖の埋め立てによって苦しむ人がいる。埋め立てを行っている日本企業に勤める方に聞くと「苦しむ人がいることは分かっているが、家族を養うためにはやめたいことでも、やめることはできない」と話してくれた。私は、自分自身がしている仕事に疑問があるが、様々な事情で辞めることができない人々は、パラレルキャリアをするべきだと考える。「普段は企業で働く一方、就業時間外はNGOなど別のところで働く」という2つの顔を持つことによって、社会の実態をより知ることができるのである。

 今までの事例にもあるように、都会の中には、生きている実感がわかない・身体感覚に飢えている人が増加している。精神疾患で苦しんでいる人は金融・IT業界に勤めている人が多いが、それは仕事内容に実体がないために、頭と体のバランスが取れていないためである。そして、実感を得ようと間違った方向に進んでしまう人が存在し、極端な例としては殺人・自殺を起こすケースもある。今、豊かさを実感できないのは、今が貧しいからである。豊かになるためには経済成長をしないといけないと考える人がいるが、これは発展途上国の思想である。経済成長をするためには家族との時間・自分の健康などを犠牲にしないといけない。今の日本は、豊かさを実感するには限界があることを受け入れなくてはならない。生産に関わる人々は常に死と隣り合わせである。私たちは命を食べ物にして生きているのであるから、実際に生産者と関わって、身近な死と向き合うべきだと考える。

質疑応答


Q、地方の人は都市化を望んでいますが、それを正しい選択でしょうか。

A、現在でも、地方の人は東京を目指せと言っている。年配の人ほどその傾向は強いが、都市化しても長くは続かないと思う。私は地方にある自然の価値を地方の人は知らないと思う。もっと都会の人が教えないといけないのではないか。

 

Q、友達に様々な社会問題と触れ合ってきた人がいます。しかし、その人たちの希望就職先は有名海外企業です。それはどうしてでしょうか。

A、人類が持っている自由という価値観に憧れて、自分のしたいことをする人もいる。様々な価値観があるのであるから、それはしょうがない。重要なことは、学生時代に学んだことを今後に生かすことである。少しの時間でも、社会の人が農家を助けてくれると嬉しく思う。

所感


 パソコンで「りょうし」と変換すると、量子が出てきました。漁師が出てきたのは5番目。生産者と自分の間の距離を講演会直後に実感した瞬間でした。もちろん私は魚を食べますが、漁師の知り合いはいません。同様に、農家の友達もいないため、第一次産業で働く人との関わりはほとんどありません。結局、私も農家を他人事のように捉えていることに気付きました。それでは、他人事にしないためにはどうすればいいのでしょうか。私は「将来、農業をやりたいか」と聞かれたら「農業は楽な仕事ではないのでやらない」と結論付けてしまいます。このことから「楽をしたい」という深層意識が他人事を生んでしまうと感じました。消費者が生か死かという現実に直面しない限り、他人事の意識は直らないのかもしれません。しかし、少しでも生産者と消費者をつなぐ活動をしている人を応援したいと思えるようになったことは、この講演を聞いての大きな収穫でした。

 また、パラレルキャリアがリアリティーを取り戻すための解決策として挙げられていましたが、これにはとても共感しました。私も時間の許す限り、できるだけ多くのことに挑戦して、職種ごとの知見を取り入れていきたいと思いました。

 最後に、「跡から追う人がすることは、先輩方を1センチでも超えること。それはなぜか。前を走っている人を見ていたからである」という言葉が一番印象に残りました。私もいくつか挑戦していることがありますが、自分が挑戦する理由を再度実感することができました。この言葉を励みに、これからも挑戦を続けていきたいと強く感じました。

 

文責 小杉啓太